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ルーマニア紀行、其の3。食編

旅の醍醐味の一つといえば食べ物。食い道楽というよりはただ単に食い意地がはっているこきさんじは、どこかへ旅行するなら必ずその土地の食べ物を食するようにしているが、まぁ全てが全て当たりという訳にはいかないのもしばしば。
今回のルーマニアでも、ルーマニア料理を食べようかなぁと思いつつも、炎遊人さんのつよい(笑)非おすすめと、自分自身の確信もあり(ハンガリー料理と同じようなものかなと)、またまた全て炎遊人さんにお任せとなりました。
まず、ルーマニアで日本の食材が手に入らないという事もあってか、炎遊人邸はまるでリトル・チャイナならず、リトル・ジャパン。そばやらうどんやらが箱単位である上に炎遊人さんが自分で漬けてるぬかまで・・・あっぱれ!
http://blog.so-net.ne.jp/flame-gambler/2006-03-07
ある日のお昼はつけそば、そしてこきさんじがリクエストしておいた、炎遊人さんとっておきのタンシチュー・・・
http://blog.so-net.ne.jp/flame-gambler/2007-01-29
ほんとうに絶品で、おかわりしてたこきさんじに炎遊人さんがぼそっと一言、「こきさんじさん、よく食べますねぇ・・・」、 「えぇ腹が減っては戦はできまへんので・・・」とどこに戦に行くんかいこきさんじ?と言いたくなりそうな位がつがつと食べてたこきさんじの食欲を謳歌するかのごとく、炎遊人さんが今回連れて行ってくれたレストランがまたサイコー!だったのであった。
一軒はヴェトナム料理店で「Thang Long」
http://blog.so-net.ne.jp/flame-gambler/2006-05-12
頼んだもの全てがおいしかったのだが、特にもやし炒めと鍋が涙が出るくらいおいしかった・・・

そしてもう一軒別のレストランが、「黒の教会」があるBrasovという町にある、「Bella Muzica」。
www.bellamuzica.ro
(すいませんがこのホームページ、ホテルの事ばっかりで肝心のレストランは何も出ていません・・・)
ここのレストラン、入り口はレストランっぽいものが見あたらず、楽器屋かなんかと見間違えそうで知らない人じゃないとふいっとは入れそうにない地下にあるレストラン。料理もハンガリーとメキシカンという訳の分かんない組み合わせ(オーナーがメキシコ人でシェフがハンガリー人かその反対)だが、そこで食べたこの物体

これが実はパンの中にシチュー系の煮込みスープが入っているのだが、大きさだけではなく、パンとシチューを一緒に食べられるというグッドなアイデアと見た目とあと味と3点満点合格点だったのだ。
これ日本でもスウェーデンでも店だしたらはやりそうだよなぁとは炎遊人さんとの談。
そしてここでも食い意地がはってしまったこきさんじ、炎遊人さんに「お腹いっぱいになるからパンは食べない方がいいですよ」と注意されたにも関わらず、パンを幾分食べてしまったあとですでにお腹いっぱい・・・もちろんそのあとの3人でシェアしたグリル焼きとチーズの盛り合わせはとてもじゃないが状態。
でも本当においしかった・・・ルーマニア料理じゃないっていうところが唯一残念無念・・・


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ナツパパさんへの回答、山の上の要塞の水もんだい。

1つ前のブログでRASNOVという町にある山の上の要塞を取り上げたところ、ナツパパさんのコメントに「あんな山の上で水はどうしたのかな~、雨水?」という疑問があり、こきさんじはそういえばそうだよなぁ、みんなどうやって水無しで暮らしていたのだろう??と考えていたら、そこの山の上の要塞で撮った写真で面白い発見があったのでご紹介します。

そうなんです、井戸なんです。そしてこの要塞の中に在ります。(もちろん今は使われていません)
でその説明を見ると・・・

二人のトルコ人捕虜が釈放条件として与えられた仕事(罰)がこの井戸のほりあげ作業。1623年から1640年の17年という歳月にわたって掘られたこの井戸は深さ146メートルで、滑車が壊れ使用禁止を余儀なくされた1850年まで使用された。
水の供給依頼では開けられる事の無かった要塞の門。この井戸が長い年月に渡り要塞内で暮らした人々への「普通の生活」を保証したのはいうまでもない・・・

とまぁこんなところでしょうか。捕虜になったトルコ人が17年もかけて掘り続けた事を思うと可哀想な気がしますが・・・
ナツパパさんのおかげで一つかしこくなった気がします、有り難うございました。
解答としてはこんなところでよろしいでしょうか??


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ちょいうひゃ、ちょいどひゃ?のルーマニア其の2 観光変?

ルーマニアに着いてから2日目、3日目はかなり充実した観光巡り、まぁ多分ツアーに入ってもここまでは出来ないのでは?と思うほどの計画ぶりで、炎遊人さんと運転手のAさんには頭が上がらず。ただ可哀想なのが、こきさんじにとっては全てが初めてで目を見張るものばかり、だが炎遊人さんとAさんにしてみれば100回までとはいかないものの、お客さんが来る度に行ってるわけだから、それはそれは気の毒になってしまう。がそういう二人の苦労を尻目に大はしゃぎのこきさんじ・・・
列挙すると以下のとおり・・・(詳しい説明と写真は炎遊人さんのブログをどうぞ)
「THE PEOPLE HOUSE」 (国民の館)

http://blog.so-net.ne.jp/flame-gambler/2005-11-07

ここははっきりいって全てにおいて「どひゃ~」を通り越していて、内装の贅を尽くした限りを見ていると逆にすごいというよりは、当時働いてた人々の苦労が偲ばれます。

そしてペレシュ城。国民の館を見たあとではどうしても1部屋1部屋が小さく感じてしまったのはこきさんじだけ??


http://blog.so-net.ne.jp/flame-gambler/2005-11-07

ペレシュ城に行く途中によった教会(炎遊人さん、助けてください!どこの何ていう名前かすっかり忘れてしまいました・・・)
炎遊人さんが以前来たときはお囃子のようなものをやっていたとのことでしたが、この日はイースターにかかっていたためか何も無し。

そしてお決まりのドラキュラ城。

http://blog.so-net.ne.jp/flame-gambler/2005-11-28

とはいいつつやはりイースターの土曜と言うことで早じまい、実は間に合わなかったのですが、そんなに大した事ないみたいなので「炎遊人談」(笑)、門から撮った写真を1枚・・・

更に「黒の教会」、「ヨーロッパで一番ほそい道」などなど

http://blog.so-net.ne.jp/flame-gambler/2007-02-16

http://blog.so-net.ne.jp/flame-gambler/2007-02-14

で今回の観光ハイライトが、炎遊人さんも初めてというRASNOVという町の「山の上の要塞」

すいません、はっきりいってここの歴史をいまいちというか、覚えていないので又炎遊人さんに助け船を出していただくとして、素晴らしい景観と「ちょいうひゃ、ちょいどひゃ」の写真をお楽しみ下さい。

見えますか~熊が?(もちろん偽物)何故かは知りません、ルーマニア人のユーモアかも?
そしてこれまた訳の分からない鳥かご

そして要塞からRASNOVの町を見下ろすとこんな感じ・・・

最後に、これらの観光で「ちょいうひゃ、ちょいどひゃ」と思ったのがまさにハリウッドを真似た町々の看板・・・


(山の上の要塞があるところです)


(BRASOVという町)

う~む、まだまだあなどれないぞルーマニア・・・・










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うひゃ~、どひゃ~??のルーマニア 其の1

皆さまが既にご承知のとおり、こきさんじ、炎遊人さまのガイドのもと、ルーマニアはブカレストに旅してまいりました。
まずはブカレスト空港に着き、思ったよりもかなりきれいな空港だなぁと感心しながら(モスクワがひどかったため)、荷物も無事に出てきて出口へと・・・があまりの混雑ぶりに「炎遊人さんいるかな~?」と少し不安になりながらも、あぁ何か手を振ってる日本人っぽい人がいるぞ!と思ったらやっぱり炎遊人さん。炎遊人さんのブログを拝見してる限りとJALのファーストクラス・ダイヤモンド会員とあって、しかもブログのタイトルがMiddleーage・・・なんてきてるもんだから、てっきりお年を召した方かと思いきやあまりの若さにびっくり!(すいません、炎遊人さん)、と同時に安心してしまい、初対面にもかかわらず、恥じらいも気遣いもせず(元々そんなものは持ち合わせていないが)すぐさまこきさんじのがはは性格をおっぴろげて、ルーマニア紀行のはじまりはじまり~となりました。
炎遊人さんは親分なので(笑)、おかかえの運転手さん付きの上にすんばらしい車で一緒にお出迎え。こきさんじの荷物までささ~っと運んで頂いて、こきさんじ、いままでに体験したことのないお嬢様待遇に涙うるうる状態、「これだけでもルーマニアに来た甲斐があったもんだわ~」と一人で感激していたのであった。
とりあえず着いた日はもう夕方だったので何もせずそのまま炎遊人邸へと直行。もちろん、邸と名が付くだけの事はあって豪邸!まず最初の「うひゃ~」である。というのも大きさがはんぱじゃない!まぁ確かに炎遊人さんだけではなく何人か一緒に住むということなのだが、それでもこの広さは???と思うぐらい。3階建てで一階がキッチンと居間、そして誰も使っている気配がなさそうな書斎、2階には炎遊人さんのこれまたすごいジャグジー付きの寝室、さらに他にも3寝室。そして3階にも別に2寝室と、開いた口がふさがらないとはまさにこの事。
がここで「どひゃ~」が・・・
ルーマニア人全体の趣味なのか、屋敷の持ち主の趣味なのかはわからないが、内装というか部屋の飾りというか、とにかく「うひゃ~、どひゃ~」なのである。
ちなみにこきさんじが宿泊させていただいた部屋は自称「オレンジ部屋」とでも言おうか?

壁がうすいオレンジに始まり、シーツと枕・ベッドカバーはオレンジにオレンジの花模様、そしてブラインドがまさしく橙々(だいだい)ともいうべきオレンジと限りなく赤に近いオレンジ・・・「うひゃ~」、でもピンクじゃないだけいいか・・・・とさらにバスルームのドアを開けたら、今度は黄色だ~「どひゃ~!」


とは言ってもどぎつい黄色でもなく、また一部一部が黄色なだけであって、これぐらいなら可愛いもんだ、ふふ・・などと思って、ふと蛇口を見
たらひえぇぇぇ、イルカの蛇口だよ~、またまた「うひゃ~!」

そして、イルカの口から水がでるとこんな感じ・・・

う~む、ルーマニアの芸術ここにあり・・・・
そして、更なる炎遊人邸探索の結果、また別の「うひゃ~」が・・・

まあなんてことはない、普通のコンセントです、がついてる位置が半端じゃない

わかるかな~?右に見える茶色いのがドアでその左上にコンセントが・・・
そうなんです、かなり天井に近い位置にコンセントが配置してあり、ここ一カ所だけだったら何か特別な使用目的のためなんだろうなぁとは思いますが、結構家の中のところどころにあり、ルーマニア人がかなりの長身民族なんて話しも聞かなければ、何の為にわざわざこんなところに??と首をかしげるこきさんじ。ルーマニア人摩訶不思議・・・といった所でしょうか???
なんか長くなってしまった・・・まぁとりあえず其の1はここらへんで・・・ということで最後に私の部屋からとった屋敷の前の写真を・・・

ちなみに炎遊人さんのブログ内のルーマニア項目を見ていただくと色々と写真付き説明付きで更にルーマニアが楽しく感じられると思いますので気になる方はこちらへどうぞ・・・
http://blog.so-net.ne.jp/flame-gambler/


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海外旅行ビギナーの頃

こきさんじ、ブログ仲間の炎遊人さんのガイドのもとにルーマニアに旅行に行く事になりました。
実はとても楽しみ!というのもルーマニアなんて(失礼)興味はあっても知合いがいなかったら(すいません炎遊人さん、勝手に知合いにして)、とてもじゃないが行こうとは思わない国だからである。
いまでこそ一人で何の問題もなく、自由きままな旅行をしてきてはいるが、あれは忘れもしない初めての海外旅行でインドに行った時。もちろんその時は会社の先輩と一緒にツアーに参加したのだが、右も左も分からずじまい、といっても日本語かんぺきの地元インド人のガイドさんが一緒で色々と廻ったのだが、全てが初めて、しかもその頃のこきさんじの英語力は皆無に等しい。そしてガイドさんが連れて行くお土産やさんが一緒にグルになってるとは知らず、他の所より値段が高いのにも関わらず、知らずにがんがんお土産を買ったりもして、、、
旅行の何日目かでどこかの遺跡に行く事になり、その場所についてから少し自由時間がありそれらの遺跡を見ていたら、地元のインド人の一人が話しかけてきた。(ちなみに英語で)
インド人 : Hello、ドコのクニから来たの?
こきさんじ: 日本ですよ。
インド人 : オゥ、ニホンからですか、スバラシイデスネ。
こきさんじ: ありがとう。
インド人 : ジツはワタシはセカイジュウのコインをあつめていて、ニホンのコインをゼ
ヒほしいのですが、ナンマイかもっていませんか?ソノカワリ、インドの
コインをかわりにアゲマスノデ、、、

とここで頭のいい読者のみなさまだったらもうお分かりのはず、がばかなこきさんじはインドのコインがもらえる、ラッキー!ぐらいにしか考えず、しかも貧乏なくせに気前だけはよく、その時持参していた日本円硬貨の全種類を何枚かまとめてあげたのだった(不幸中の幸いだろうか、その当時は500円玉は存在しておらず、ハッハ!)。
まあもちろんそのインド人からインドの硬貨をもらい、バスに乗り込んで一緒のツアー参加客にこれでもか!と自慢げにインドの硬貨を見せ、一部始終を話したら、「な〜んだ、だまされたのね」と、「へっ?」とはてなマークのこきさんじに、「ほら日本円って価値がすごい高いからこっちで両替するとけっこういいお金になるのよね〜、そのおじさんそうやって全部の観光客だまして稼いでるんじゃない、、、」
うぅぅぅ、そこまで気がつかなかったまるで浅はかなこきさんじ。
ルーマニアでは頼もしいガイドの炎遊人さんがいるからかなり心強いが、ビギナーが陥りそうな罠にははまらないよう、又インドでの教訓を忘れずに楽しく実のある(?)旅行にしたいものだ。

・日本円、ガイジンにあげるなら10円まで。 こきさんじせこいかな俳句


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RとL

日本人で欧米語をかじった人なら誰でもぶつかるであろうRとLの発音の違い。
日本語で言う「らりるれろ言葉」は日本人にしてみればRであろうがLであろうが関係なし、全てが同じに聞こえるのだが、欧米人にとってはRとLの違いというのはかなりのもの、、という事でここスウェーデンも例にもれず、スウェーデン語のRとLの発音の違いは天と地の差があるほど。
が先日、友達のEちゃんが;やっちゃたわ〜、もう自分ではちゃんとRで発音したつもりだったのに〜、と言うから;どうしたの?と聞いたら「相撲brottare」が「相撲blottare」って聞こえたみたいで大笑いされちゃった、、という。
相撲の力士さんを英語で「相撲wrestler」とレスラーを後に付けていうように、スウェーデン語だとレスラーの部分が「brottare」になるのだが、そのRがLになり「blottare」となると日本語でいう「いきなり人前で自分のあそこを見せたりする人」(変質狂?色情狂?すいません単語が思い浮かばない)。相撲力士が土俵の上で、はっけよ〜いのこったと同時にまわしを外し始めたりしたら、目も当てられないどころか考えるだけでも恐ろしく、まさにひえぇぇ状態。
別の友達のIちゃんは彼氏と友達らと自宅で食事をしてたところ、やはりRの発音がLになってしまい、(ちなみに彼氏の名前をマルクス(markus)としよう)そしてテーブルには塩漬けの(rimmad)サーモンがあったのだが、Iちゃんがついつい;Malkus、そのlimmadのサーモンを取ってくれる?とRの部分をLで言い間違えた瞬間、彼女を除いた一同が大爆笑。というのも日本語に直すと;ちょいと「お糊さん」(自分の彼氏に向かって)そこにある「糊付け」のサーモンをとっておくんなまし、、、てな位の感じになってしまったのである。
がもちろんこきさんじも例外ではないのはご承知の通り、、、
あれはかなり昔のカナダに住んでた頃、友達のポーラが;こきさんじ、日本人はシェークスピアとか勉強するの?と聞かれ、こきさんじは;大学でどれ位深く勉強するかは分からないけど、高校までだったら、シェークスピアを学ぶというよりは彼の作品を覚えさせられるね、たとえば「リア王」とか、、、という所でもちろん英語だと「King Lear」とL、がこきさんじはRの発音で「King Rear」と、、、。ご存知とは思いますが「rear」は後ろ、後部=臀部(まあいわゆる尻ですね)等の意味があり、ポーラの問いに対する私の答えは;シェークスピアの作品の名前ね、たとえば「ケツ王」とかかな、、、な〜んて言ったものだからポーラが腹をかかえて笑うのも今となっては理解できる。がその時はなんで彼女があんなに笑ってたのか分からなかったのであった。日本人すべての頭のレベルが「ケツ王」と言ったこきさんじと同レベルだと勘違いしない事をただただ祈るのみである。(ひまつぶしの例もあるし、、、)


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ひまつぶし

こきさんじが自分の馬鹿さ加減にあきれるというのは決して今に始まったわけではないが、今回またもや『どひゃ〜』というような大バカぶりを発揮してしまったのであった。
事のはじまりはこきさんじが愛読しているナツパパさんのブログの1記事。
ナツパパさんは名古屋名物のうなぎ料理のひとつで『ひつまぶし』というものを紹介していたのだが、おっちょこちょいのこきさんじはそれを『ひまつぶし』と勘違いしてしまい、なんだよ〜名古屋人はみゃぁみゃぁ言ってるだけじゃなくて、暇をつぶす為の料理までだしてるのか〜、面白い名物があるもんだなあと思い、そこで留めておけばいいものの、ナツパパさんへのコメントに「ひまつぶしなんてけったいな名前ですね〜、暇なひとが食べるものなのですか?」とまで書いてしまったのであった。さすがのナツパパさんも返事に困ったようで、、、
そしてナツパパさんの返事で事実を知ったこきさんじは正にまたもや穴があったら入りたい状態だったが、ここまで来るとこきさんじ用に掘れる穴すらないような気がするし、名古屋人に逆に、「何だよ〜こきさんじ津軽弁でずーずー言ってるだけじゃなくて、脳みそまでずーずー垂れて何も残ってないんじゃねえか」と言い返されそうな始末である。
かの昔『3K』という言葉が日本で流行って、結婚相手は高(Kou)収入、高(Kou)学歴、高(Kou)身長といっていたが、もちろん自分もそれに見合わなければとてもじゃないがそんな相手なんて見つかるわけがない。が今のこきさんじは『3K』ならぬ『3N』、宿無(Na)し、職無(Na)し、男無(Na)し、その上、脳無(Na)しまで加わりこれでもか!の『4N』状態。。。
「嵐の引っ越し」記事の際、何人かの人にこれ以上(こきさんじの新生活が)下がる事はないでしょうなんて励ましの言葉をいただいたが、まっさかさまに下降気味。いつ優しい神様のお恵みの手が来るのだろう??と未だにいたって他力本願なこきさんじなのであります。(バカは死んでも治らない?)

ps ナツパパさんの『ひつまぶし』の記事『ひまつぶし』ではありません。
   http://blog.so-net.ne.jp/08091160825/2007-02-08


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嵐の引っ越し

ようこそ月刊古今惨事へ(はは)、、、じゃないが本当に月1の割合での更新になりそうだ。先日こきさんじのブログの毒(読)者でもある辛辣批評家のIちゃんとMさんに『ちょっと〜いつ更新するのよ〜?なんか怠け過ぎじゃない?』とぼやかれ、引っ越ししてコンピューターが使えなかったのを言い訳になんとか誤魔化したがそろそろやばいと思い、今回は引っ越しネタ。
こきさんじストックホルムに引っ越しました。
まあ以前から考えてはいた事ですが、元彼とも別れ、ヨーテボリにいる用も特別なく、ストックホルムの方が以前住んでいて、知り合いもいるし、色々と仕事やら何やらのチャンスがあるだろうと思い、思い立ったらはやいぞこきさんじは後先を考えずにそそくさと引っ越しへ。
さて引っ越しの当日、前日の天気予報ではスウエーデン全体が嵐に見舞われ、一部では吹雪もとの予測どおりに、朝からごうごうと風が、、、なんで今日、しかも引っ越しするという日に限って嵐なんだろうと思いながらも荷物を車に積め、あまりの強風にドアの開け閉めさえままならなかったがなんとか発進、さようならヨーテボリと、、と泣く泣く(?)ストックホルムへと向かったのであった。
本来ならヨーテボリからストックホルムまではE20号という高速道路がほとんど一直線状態で一番早く着くはずなのだが、こきさんじ、いや待てよ、せっかくだから久々にヴェッテルン湖(こきさんじの一番のお気に入りの場所)の景色を見て行くのも悪くないのでは、、、と嵐並みの強風の事を考えもせず、単細胞で能天気なこきさんじ車はすでにヴェッテルン湖沿いのE4号線へ。
ヴェッテルン湖通のこきさんじはどこで休憩をとるのが一番いいかわかりきっているので、それまではもちろんノンストップ、ただひたすらに運転していたのはいいが、途中で何度か強風により倒れた大木が道路の一部を遮り徐行状態。もちろんそうなると予定より遅れて着く事になり、さらには予期してなかった道路工事、、の為に遠回り、、、と更に遅くなり、う〜んこれじゃあヴェッテルン湖に着く時は暗くなってるだろうなあと思いつつも、いつものまあいいか調子で車を進めたのであった。
が強風はさらにひどくなる一方で途中で何度もハンドルをとられそうになり、さすがのこきさんじもだんだん不安になるばかり、があと少しでヴェッテルン湖の休憩所に着くから、それまで辛抱。そしたら給油して、少しごはんも食べてコーヒーでも飲みながら暗い景色でもみるかなどと考え、いつ強風で車が吹っ飛ばされてもおかしくない状態のまま休憩所へとたどり着いたのであった。
給油を済ませ、周りを見たがもうすでに暗くヴェッテルン湖の景色なんて見えないというよりは、あまりの強風の為5秒すら外には立っていられない状態。とりあえず食べ物とコーヒー、あとトイレも行かなきゃと足早に休憩所へ入った途端に目に入った大きな手書き文字、
「お客様各位、本日の悪天候により停電が続いたため水の使用が不可能です。これによりトイレの使用禁止、かつお食事、コーヒー等のサービスが出来ません。』
がががが〜ん!!!ヨーテボリから飲まず食わずそして休まず走りつづけて4時間、その労力の報いがこれとはあまりにも厳しすぎる〜、、、と思いながらも、腹が減るのはなんとかなるがトイレだけは困ると思いすぐさま車に乗り込んで次の休憩所へ。そこは停電の被害にあってなかったらしく、食事もできコーヒーも飲め、用も足せるという本当の意味でほっと一安心した場所であった。
ストックホルムに着くなり雪が加わりまさに吹雪状態、事故にもあわずとりあえず無事についたからいいものの、これからのストックホルムでの新生活での惨事を暗示するような幸先不安な引っ越しであった。


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忘れがたいクリスマスプレゼント

遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます。2007年が皆さまにとってどうか良い年でありますように、ついでにこきさんじにとっても良い年でありますように・・・(はは)。
学校の最後の追い込みと年末の稼ぎ時の仕事、そしてさらにはネタにも困ったうえにこきさんじの面倒くさがりの性分が追い込みをかけて、ブログを開けてすらいなかったこの頃。最後のテストが終わりクリスマス、そして新年と久々に飲んで食って大賑わいでした。
クリスマスイブは例年通り、元彼と元彼の家族と一緒に・・・(普通の感覚でいったらえぇぇ?どういう事?と思われそうですがここ4,5年ず~っとそうだったのでお互いに違和感がなくとても楽しかった、実は・・・)
が忘れもしないあれは3年前のクリスマスイブ、その年は元彼の親戚やら小さい子供やらもいたので総勢13名だったろうか、かなり大がかりなパーティだった。こきさんじと元彼はお互い年をとっていたので、プレゼントを選ぶ際にびっくりするようなとか、どきどきするようなとかっていうことをしないで、事前に何が欲しいかそれぞれ聞くのが常であった(お互いの欲しい物の好みの感覚があまりにもかけ離れていたのも理由の一つだが)。
その年、元彼が、「こきさんじ、クリスマスプレゼントに何が欲しい?」と聞かれたのでう~んと考えた末に「スウェーデンには無いと思うけど、もしあったら女性用の電動カミソリが欲しいな?」と答えたのだった・・・というのもこきさんじ、日本にいたときに(メーカーは忘れたが)一つ持っていて顔の産毛をそったり、眉毛を整えたりするのにかなり役だった記憶があり、あれは電動歯ブラシと同じで一つあると何かと便利!と思ったのである。がスウェーデンでは見た事が無かったので元彼にかなり細かく細部にわたって説明し、そいうのじゃなかったら買わなくていいよとまで言ったのであった。
クリスマスイブの真っ最中、みんなが一番楽しみにしてるプレゼント交換がサンタクロースによって行われ、全てのプレゼントが渡されたと同時に皆それぞれのプレゼントを開け始め、こきさんじもわくわくしながら一つ一つパッケージを開け始め、元彼からのプレゼント(まだ包装紙に包まれている状態)を手に取った瞬間、へぇ~よく見つけたもんだなぁ、スウェーデンにもあるんだと何の疑いもなしに喜びながらびりびり包装紙をやぶき、さぁいよいよ電動カミソリの登場!!待ってました!!と思いパッケージのふたを開け中身を取り出した瞬間、、、ひぇぇぇぇこれって男性用のひげそりシェーバーだよぉぉぉ・・・ともちろん絶句そしてあたりを見渡し誰も見ていない事を確かめシェーバーをすぐさま箱の中に押し込め別の袋に入れて見えないようにし、そのままソファの下へと隠したのであった。
あぁぁやっぱり、分かっていなかったんだぁ・・・・とがっくりのこきさんじの思いとは別に元彼は「おれのプレゼントどお?気に入った?」なんてぬけぬけと言うものだから、こきさんじ、「このばかたれ、あれほど説明して、しかも男性用のシェーバーじゃないよぉぉって100回も言ったのに何で男性用のシェーバー買ってくるのよ!」、そしたら元彼、「でもこれ男性用じゃなくて、’薄いひげ用’って書いてあるしさぁ・・・」、「薄いひげ用だろうが濃いひげ用だろうがこれは女じゃなくて男が使う物なの!それぐらいもわかんないの?!」と殆ど怒り気味のこきさんじ。
次の日にしょんぼりしながらその男性用シェーバーを戻しにいった元彼。いまでこそお互い毎年クリスマスが近づくとその話で大笑いだが、こきさんじのその当時のショックというのはいつまでたっても忘れがたい物なのであった・・・’薄いひげ用’ねぇ・・・


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スウェーデンのクリスマス

地球温暖化の影響でここスウェーデンも例年に無いくらい暖かい日々が続いて少し気持ち悪いぐらい(いまだに6度ぐらいでこの時期にマイナス気温でないというのはかなり珍しい)。
が気温とは別に年の瀬というのはひしひしと近づき、そして過ぎていくもの。スウェーデンも外の国に例を見ずクリスマスの雰囲気があちらこちらに・・・ということで今回はこきさんじがたまに働いているレストランでの典型的なスウェーデンクリスマス料理のご紹介。

まずは必ずといっていいほどスウェーデンの行事の際によく食べるニシンのマリネ漬け。

色々な種類のマリネの味付けになっていますが本当においしい!

そしてこれまたおいしいサーモン。

次は、オヒョウのカルパッチョ。

その他にもいろいろな冷菜が・・・

そしてチョコレート・お菓子コーナー


(すいません、開店前でまだラップを取ってない状態・・・)

そして店のあちこちにはサンタ・クロースが・・・ちなみにスウェーデン語でTomten(とむてん)と言います。

そして最後に店の入り口

もちろん暖かい料理もあるのですが、ソーセージとかベーコンとかありきたりのものが多いので外させていただきました。最初にも言いましたが、ニシンのマリネ漬けとサーモンは自信を持っておすすめ出来るぐらいおいしいのでスウェーデン、特にヨーテボリにお越しの際は是非おためしください!

このレストランは1775年に建てられたもので、当初は東インド会社の倉庫として使われ、中国の広東へ赴き帰航した際に、中国で仕入れた品々(お茶、絹、香辛料、陶器)をこの倉庫に積み込んだのが始まりと言われています。いまでもオリジナルの部分が建物に多数残っていて古い梁を見ると歴史の深さを感じさせる、とても趣のあるレストランです。多分日本の北欧関連ガイドブックにかなりの頻度で載っているはずなので簡単に見つけることが出来ます。
名前は sjömagasinet (シューマガシーネット)といい、湖、海の倉庫という意味です。
www.sjomagasinet.se


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